「高学歴=頭いい」が必ずしも成り立たない。
旧帝国大学大学院に進学して、必ずしも「高学歴=頭いい」が成り立たないことが、肌感覚でわかった。
学部時代のときは、旧帝大は無条件で頭いいと思ってた。
以下、「高学歴=必頭いい」必ずしも成り立たない、
にたどり着くまでの(思いつく範囲での!)学部生を材料にして理由を列挙。
(※底辺大学にいないマジで頭いい学部生はいます。本当に将来が楽しみです!)
◆授業を真面目にでている
→どうにかして出席とかノートは頭を使って攻略して、読書・運動・合コン・勉強してた方がいいことは、頭がよければ気づくことができる。
◆発言が内容が論理的ではない
→そんなぐちゃぐちゃな内容を自信満々にしゃべるとは、「頭の中がぐちゃぐちゃ」であることをさらしてるようなもんで、そんな醜態を自分はさらしたくないから、一度考えを練って発言するか、日々繰り返し考える練習をしとくか、何も語れないときは黙ってた方が良いことは、頭がよければ気づくことができる。
→◆文章能力やばすぎ
→旧帝大生って文章を上手にかけると思ってた。。
◆グループになって授業を聞く
→効率悪すぎなのは、頭がよければ気づくことができる。
◆本読まない
→知識の進歩がないことは、頭がよければ気づくことができる。
◆英語ごみ
→全員が起業家になるわけでもなくて、雇用されるんだから、就職活動をしなければならないことは目に見えていることで、そのときには英語能力を示す指標として数値化されたものが必要になる。
なのに、英語しゃべれんし、しゃべれるといっても発音ゴミだし使用単語ゴミすぎ。TOEICという無駄テストにおいてもスコア低すぎる。
言語なんて伝われば良いというのはごもっともの意見だが、それは「どんな状況での会話」を想定しているんだ?
ネイティブレベルに等しい非ネイティブが、長い意味を縮約できるよなボキャブラリーを駆使し、発音がきれいで、文構造も英語圏にならった完璧な英語を使用しているときに、「言語なんて伝わればいいねん!」なんて低い次元の英語をつかってたら、どう思うよ?これは別稿します。
まぁ、諸理由により英語が将来マストなのは、頭がよければ気づくことができますよね。
◆何かに特化しようとしない
→マイノリティーを世界が求めている。
◆大学授業の点数低い。
→授業真面目に受けているどうのこうのの前に、知ってて当たり前のことなんだが。。。。汗
などなど、まだまだあると思うが、とりあえずこのくらい。
こういうのって、超超基本的に「今自分が置かれている状況を把握して、将来のために何をすべきか」と考えることができれば、だいたいクリアできるもんだと思う。
強調しますが、ほんとーーーーーに抜群に頭いい学部生は存在します。そこらへんは、底辺大学とは違うところだと思います。
次は、底辺大学と旧帝大の学部生を比較したいと思います。
では。