【Part1:家系編】底辺大学&旧帝大の大学生の違い
底辺大学&旧帝大の大学生の違いに関して思考を巡らせると、様々な違いがでてきました。
本稿では、大きなカテゴリー環境に属する家系から考察をしてみます。
最初に断っておきますが、私が知り合って家系まで聞けることができる人間関係は、限られていますので、あくまで私の意見です。まず、「両親の職業」ではなくて「家系」とした理由は、高確率で「僕の家系は〜」から紹介されることがあるからです。ですがここでは便宜上、両親の職業も家系にいれることにします。
ではいきます。
◆底辺大学では、素直に言えば「普通の家庭」で育った人たちが多かったですね。私立大学に息子を通わせることができる家庭なので、両親の職業に関して言えば普通出会ったと思います。
家系に関しては、だいたい特に目立った言及はありません。
しかし、僕の友好関係の中で「あ、こいつには何をしても敵わないな笑」と感じることができた同じゼミの友達の家系に関しては、旧帝大と慶応義塾大学で占められてて、祖父は日本史に名を残す人物と張り合うことができた超大物でした。
彼は抜群に頭が良いのですが、偏差値の低い大学に来た理由は「高校時代ぐれてたからw」だそうです。
底辺大学には、こういう異常値ももちろんいるみたいですね。
◆ここまでは、両親の職業に関しては聞くことができませんでしたが、旧帝大の人間関係では職業も家系に関しても言及されてきます。
私の友好関係の中の話ですが、武士の家系を重んじる人、格式の高い神社の人、研究者の息子、作家の息子などが出現してきました。
職業に関しては、一般企業はあまり記憶にないのですが、経営者の両親などもいます。一番多いのは公務員の息子ですね。
なんか、別世界の人たちだなぁと感じています。僕はおもしろそうな人としかできるだけ会話をしないようにしていますので、バイアスはありますよ!
◆簡単にですが、まとめてみます。
□底辺大学大学生の両親は、普通の家庭を持つことができる方々が多い。
私立文系に入学させることができるので、お金には大変困るということはない。
異常値もあった。その彼は頭が良かった。
□旧帝大大学生の両親は、普通の人たちじゃない(ことを祈る)。
つまり、私の世界観の解釈では、ほぼ異常値。
もちろん、お金には困らないだろう。
※僕の友好関係では、たまたまほぼ異常値だらけでしたが、私の友好関係が異常値である可能性は高いので、「旧帝大大学生の両親には、異常値が底辺大学よりも多く分布している」ということで一般化はできると思います。
◆結論:異なっていることは、旧帝大の方が異常値が多いということ。
共通していることは、お金にはそんなに困っていないということでした。
両親の学歴に関しては、しりあすなプライベートな部分なので、聞くことができませんでした(そりゃ普通にあつかましいし、うざいやつと認識される)。
◆◆つまり、【家系編】からだと
底辺大学&旧帝大の大学生の違いは、ちょいビックな親がいるくらいでした。
教育に関してはお金の有無が意識されるともいますが、双方には高等教育を受けて参考書買えて、塾にいけるような環境がセットされていると仮定すると、底辺大学に進学か?はたまた旧帝大に進学か?を分ける要因はなんなんでしょうか?
次回はそこらへんを、検討したいと思います。
ではぁ。
「高学歴=頭いい」が必ずしも成り立たない。
旧帝国大学大学院に進学して、必ずしも「高学歴=頭いい」が成り立たないことが、肌感覚でわかった。
学部時代のときは、旧帝大は無条件で頭いいと思ってた。
以下、「高学歴=必頭いい」必ずしも成り立たない、
にたどり着くまでの(思いつく範囲での!)学部生を材料にして理由を列挙。
(※底辺大学にいないマジで頭いい学部生はいます。本当に将来が楽しみです!)
◆授業を真面目にでている
→どうにかして出席とかノートは頭を使って攻略して、読書・運動・合コン・勉強してた方がいいことは、頭がよければ気づくことができる。
◆発言が内容が論理的ではない
→そんなぐちゃぐちゃな内容を自信満々にしゃべるとは、「頭の中がぐちゃぐちゃ」であることをさらしてるようなもんで、そんな醜態を自分はさらしたくないから、一度考えを練って発言するか、日々繰り返し考える練習をしとくか、何も語れないときは黙ってた方が良いことは、頭がよければ気づくことができる。
→◆文章能力やばすぎ
→旧帝大生って文章を上手にかけると思ってた。。
◆グループになって授業を聞く
→効率悪すぎなのは、頭がよければ気づくことができる。
◆本読まない
→知識の進歩がないことは、頭がよければ気づくことができる。
◆英語ごみ
→全員が起業家になるわけでもなくて、雇用されるんだから、就職活動をしなければならないことは目に見えていることで、そのときには英語能力を示す指標として数値化されたものが必要になる。
なのに、英語しゃべれんし、しゃべれるといっても発音ゴミだし使用単語ゴミすぎ。TOEICという無駄テストにおいてもスコア低すぎる。
言語なんて伝われば良いというのはごもっともの意見だが、それは「どんな状況での会話」を想定しているんだ?
ネイティブレベルに等しい非ネイティブが、長い意味を縮約できるよなボキャブラリーを駆使し、発音がきれいで、文構造も英語圏にならった完璧な英語を使用しているときに、「言語なんて伝わればいいねん!」なんて低い次元の英語をつかってたら、どう思うよ?これは別稿します。
まぁ、諸理由により英語が将来マストなのは、頭がよければ気づくことができますよね。
◆何かに特化しようとしない
→マイノリティーを世界が求めている。
◆大学授業の点数低い。
→授業真面目に受けているどうのこうのの前に、知ってて当たり前のことなんだが。。。。汗
などなど、まだまだあると思うが、とりあえずこのくらい。
こういうのって、超超基本的に「今自分が置かれている状況を把握して、将来のために何をすべきか」と考えることができれば、だいたいクリアできるもんだと思う。
強調しますが、ほんとーーーーーに抜群に頭いい学部生は存在します。そこらへんは、底辺大学とは違うところだと思います。
次は、底辺大学と旧帝大の学部生を比較したいと思います。
では。